プロクライマー小山田大さんによる”自分との対話(dialogue)”。ネットも一般的でなく現在よりはるかに情報格差のあった約40年前、鹿児島の小・中学生だった小山田さんはクライミング道具を自作(!)しながらその世界にのめりこんでいきました。情報もなくライバルもいない鹿児島で、ひとり自身の登りを磨き上げ、高校卒業後の上京時にはすでに日本トップレベルとなっていたというユニークなヒストリーには、とても興味をそそられます。
そんな小山田さんが歩んできた道のりや現在の活動を振り返りながら、未来へと視線を向けていきます。

クライミングギア第一号
「たしかあそこの田んぼの脇に登れそうな岩があった」12歳の私は自転車の籠に自分で作ったクライミングシューズを入れ、記憶を頼りに一人目指していた。
1976年、私は鹿児島県姶良郡(現姶良市)蒲生町で生まれた。なだらかな山々に囲まれた盆地に位置するこの町は、駅も無い人口五千人程の小さな町だが、日本で一番大きな楠木を有する神社があるなど、自然豊かで静かな町だ。
小さい頃からじっとしている事が苦手で内気だった私は大勢で居る事が出来ず、近所の野山で一人遊びをする事が多かった。学校では昼休みになると皆が校庭に飛び出してボール遊びをするのを横目に、私は図書館に通い毎日本を読んでいた。そこで今後の私の人生を左右する本に出会う事になる。
「山」という図鑑、その表紙の写真に12歳の私は大きな衝撃を受けた。エギーュデュミディの岩峰を人工登攀*で登る一人のクライマーの写真。岩と空の空間の狭間にたった一人ぶら下がっているクライマーの姿に心を奪われた。その写真は未だに目に焼き付いている。
[編集部註]
*人工登攀:登る手段として岩以外の道具を使ったクライミングのこと
自分も岩を登りたい、その頃から強く渇望するようになった。まずは道具を揃えねば、しかしネットも無い時代、情報といったら図鑑で見た写真と僅かに書かれていた当時のクライマーの装備のみ、どうやって揃えればいいのか実物がどんな道具なのか、皆目見当もつかなかった。
とりあえず靴が欲しいと考えた私は学校行事の登山で必要だからと親にねだり、近所の靴屋でトレッキングシューズに似た靴を買って貰った。当時二千円程だったと思う。
クライミングシューズの底は平らだ、という知識はあったのでカッターでトレッドを削り取り、フラットソールを作った。このクライミングシューズ風に仕上げた靴が、私のクライミングギアの第一号となった。
小一時間程自転車を漕ぎ、目的の場所に着いた私は田んぼの脇にある小さな岩の前に立っていた。図鑑の表紙には遠く及ばない小さな岩、それでも初めて岩を登るという行為を前に気持ちは高揚していた。
自作のシューズに履き替え、とりあえず登れそうなところを登ってみた。傾斜は70度程だったか、靴は意外にも上手く機能し、あっという間に岩の頂上に立てた。
本当はもっと全然大きな岩をロープとか色々な道具とか使って登るんだろうなと、少々惜しい気持ちもあったが、下から見上げた小さな石は上に立って地面を見下ろすと驚く程高く、見渡す景色も違って見えた。
この時、登る事が楽しかったかどうかは正直あまり覚えていない、だけど岩の上から見た景色だけは良く覚えている。この景色を見たくて今もクライミングを続けているのかもしれない。
夕暮れの中、家路につく私の心は不思議な充足感と、より大きな岩への願望で溢れていた。
クライマーとの遭遇
中学生になった私は一人で自転車を使い遠出をする事が好きだった。ある日、祁答院(けどういん)町にある藺牟田(いむた)池を目指して走っている道中、道路脇の駐車場でザックにヘルメットとロープを付けている一団を見かけた。
これはもしや岩登りをする人達ではないかと、こっそりあとをつけた。予感は的中し、15分ほど歩いた先に大きな岩が見え、その前で登る準備をし始めた。暫くは話しかける事も出来ず、少し離れた場所から登っているのを眺めていた。
初めて見るクライミングロープ、カラビナ、エイト環、チョークバッグ、そして本物のクライミングシューズ。どれもが憧れで、そして自分以外で実際に岩を登る人達を見たのもこの時が初めてだった。
その内、グループの一人から声を掛けられた。
「登ってみる?」
私はびくびくしながらも「はい」とだけ答え、トップロープに加えて貰った。ハーネスを貸して貰い、登った。20メートル程の5.9、初めての本格的な岩登り。夢中で登り、終了点に着いた。
壁はまだまだ上まで続いている、登れた事よりもここから先はどうなっているのか気になった。その時にこの岩が千貫岩という名前である事、自分達は鹿児島市内から来ているという事等を聞いたような気がする。
初めてのクライマーとの遭遇はこんな感じだった。
しかし何よりも衝撃的だったのは、家から自転車で行ける範囲で本物の岩登りが出来る場所があった事だった。峠を2つ越え、2時間以上は掛かるのだが。
その後は更に岩登りにのめり込んだ。道具を買う金が無かったので作れそうな道具は全部作った。ハーネスはダッフルバッグの肩掛けを使って作り、カラビナは近所の金物屋で数百円のナス環を買い、果てはエイト環まで作った。
[編集部注]
*トップロープ:クライマーの安全確保システムのうちの1つ。比較的恐怖感が少ないので初心者によく使われている。
*エイト環:クライマー落下時にロープの流れを止める道具。これが壊れるともちろんクライマーに危害が及ぶので自作はおすすめできない
しかし、靴だけは相変わらずちゃんとした物は持てなかった。とにかくギアが欲しかった。欲しくても手に入らなかった。大人になってからのクライミングギアへの強い拘りや執着心はこの頃のトラウマが原因なのではないかと思う。
週末になると千貫岩までは自転車で通った。クライマーが居ればトップロープに混ぜて貰い、居なければ自作の道具を使って登った。ビレイヤーが居ないので持ってきたトラロープにぶら下がり真似事をするか、フリーソロをしていた。今考えれば危険極まりない。よく死ななかったと思う。
[編集部注]
*ビレイヤー:ロープを操作し、登るクライマーの安全を確保する人。クライマー落下時にはロープの流れを止める。
*フリーソロ:ロープなどの安全確保用具を使わずに登るクライミングスタイル。上部で落ちれば当然重大な事故となる。
フィーレクラッシック
「役場の職員で山をやっている人がいるよ」父から話しかけられたのはこの頃だったか。そして父のこの一言が本物のクライミングシューズを手に入れるきっかけとなる。
「内野です」玄関からパタパタと出てきた優しそうな男性は、門柱の前でおずおずとする私にそう名乗った。
この辺りにしては訛りが少なく、家に置いてある物もあまり見掛けない物が多く、何となく都会の雰囲気を感じさせた。聞くと、つい最近まで遠方で暮らしていたとの事だった
「職場ではお父さんにお世話になってます。岩登りをやってるんだって?」
内気な私は上手く話せなかったが、岩登りに興味がある事、千貫岩に通っている事などを伝えたと思う。
「靴は何を履いているの?」そう聞かれた気がする。
持っていないと答えると履いてない靴があるから売ってあげようかと言われた。そして格安で手に入れたのがボリエールのフィーレクラッシックだった。

私にとって初めての本物のクライミングシューズだった。あの革の匂い、履いた感触、今も良く思い出せる。靴を手に入れた事は本当に嬉しくて、暫くの間寝る時に枕元に置いていた程だった。
帰宅するとすぐ家の石垣を登ってみた。それまでに何度か登っていたが本物の靴の性能は凄まじく、置けなかった足場にも簡単に乗れた。
そうなると岩場でも試したくなり、千貫岩に行き、それまで出来なかったトラバースの課題をやってみた。今までどうしても滑って乗れなかったスプーンカット状の足、フィーレはぴったりと吸い付き登る事が出来た。
クライミングは足なんだ!クライミングシューズって凄いんだ!と、この時心からそう思った。それからというもの内野家には頻繁に通い、岩雪*やクライミングジャーナルといった専門誌を借りて読みふけり、知識を吸収していった。
[編集部註]
*岩雪=正しくは『岩と雪』だが広く略称で呼ばれている。
それまでは近所の本屋さんで立ち読みする『山と渓谷』からしか情報を得る手段が無かった私にとっては全てが宝物のように見えた。そしてますますクライミングにのめり込んでいく。危ういまでに。
〜次回へ続く〜 ![]()
写真提供:小山田大