Vol.1 「山岳、模型、パースペクティブ」展

連載: The Tribeの舞台裏 | Vol.1 「山岳、模型、パースペクティブ」展
The Tribeの舞台裏
Vol.1 「山岳、模型、パースペクティブ」展
Published on Dec 02, 2025
Written by 寺倉 力
連載: The Tribeの舞台裏

東京・神田小川町にある「The Tribe」は、クライマーの交流や刺激を目的にしたコミュニティ空間であり、ギャラリー。「The Tribeの舞台裏」では、公開予定の展示を制作段階から追いかけることで、そのテーマや内容を先行してお伝えしていきます。Vol.1の今回は「山岳、模型、パースペクティブ」展について。山と模型…?と、まず何か不思議な感じも漂いますが、ともかく製作現場から覗いてみましょう。


「山岳、模型、パースペクティブ」展とは?

東京・神田小川町の「The Tribe」では、年末の公開に向けた新たな展示の制作が始まっていた。題して「山岳、模型、パースペクティブ」展。通常の写真や言葉での展示ではなく、造形物によってテーマを見せる。しかも、冬季縦走・沢登り・ボルダリングという性格の異なる三つの登攀記録を、「立体」で表現しようというユニークな試みである。

それはクライマーの好奇心と探究心を刺激する一方で、クライミングをしないハイカーや登山愛好家、地図好きでも楽しめる要素も十分に詰まっている。これまでの「The Tribe」の企画展示と比べても、ひと味違う内容になりそうだ。

「まずは、見てもらったほうが話は早いと思います」と案内してくれたのは、今回の企画展を担当する「The Tribe」の門野巧昂だ。

メインフロア左奥のギャラリーに足を踏み入れると、壁には地形図の大判プリントと何枚ものスケッチが貼られ、制作途中のパーツや工具、3Dプリンターなどが雑然と並んでいる。いかにも展示制作の真っ直中といった空気だ。

そのなかに置かれていたのが、展示会場を10分の1スケールで再現した完成予定モデルだった。

まずはワイヤー状に組まれた「デナリ・カシンリッジ」の模型。現在は仮状態だが、完成版では斜面全体が再現された3Dモデルになるという。次に、半透明のフォルムで横たわっているのが「立山・称名廊下」。そして、奥に配置されている縦長の作品が、ボルダリング課題「中立主義」だ。こちらはボルダー全体とルート面が、それぞれ別々の縮尺で再現される。

選ばれた三つのクライミングは、いずれも登攀そのものの難しさに加え、強靱なメンタルを要求される冒険的要素の強いもの。まさに、玄人を唸らせるセレクションと言っていいだろう。

冬季登攀も沢登りもボルダリングも、同じ登山である

「The Tribe」は、「クライミングの魅力を共有し、互いに刺激しあえること」を主旨に、株式会社ロストアローが設立した空間である。国内外の山岳図書を集めたライブラリー、異なるコンセプトの企画展を掲げる二つの常設ギャラリー、そして、月に一度以上のペースで開かれているトークイベントという三つの柱で構成されている。

2023年12月の開館以来、間もなく2周年を迎えるが、これまでメディアで大きく取り上げられることもなく、SNSで話題になることも極めて少なかった。それでも、クライマーの間では、すでに広く知られた存在である。

その理由のひとつが、多彩で本格的なトークイベントだ。誰もが知る著名クライマーや新進気鋭の若手はもちろん、表舞台にめったに姿を見せないレジェンドまで、そのキャスティングは、ここでしか観られない絶妙なものだ。

毎回の内容は「クライマーなら見逃せない」と思わせるものばかり。それもあって、公式ホームページ以外で告知は行なっていないにもかかわらず、ほぼ毎回満員となる人気を見せている。

そして、イベントに訪れた人たちは、ギャラリーで常時開催されている企画展に自然と接することになる。この展示こそが「The Tribe」のもう一つの柱である。

今回の「山岳、模型、パースペクティブ」展について、その意図を門野に訊いた。

「冬季登攀も、沢登りも、ボルダリングも、同じクライミングであり、同じ登山なのではないのか、という問題意識がありました」

「The Tribe」のスタッフとして、そして一人のクライマーとして、常に複数の問いが交錯しているという。そのなかで、どんな提案ができるのかを考えるのが、門野らの仕事でもある。

「ボルダラーは山に登らないし、フリークライマーは沢登りに関心が薄い。もちろん横断的にさまざまなジャンルを楽しんでいる方々がいらっしゃるのも知ってますが、シーン全体としてはカテゴリーごとに分断されています。そうした状況のなかで、異なるジャンルのクライミングを、ひとつの展示として並べてみたいという思いを、ずっと抱いていました。さらに、これまでのような写真や言葉という二次元ではなく、三次元で表現することで、新しい視点を獲得できるのではないかと考えたのです」

門野は「The Tribe」の活動として、「36.9℃ ロクドクブ」というポッドキャスト番組を運営している。こちらは、クライマーに限ることなく、建築家、彫刻家、フリーダイバーなど、幅広い分野からゲストを招いてフリートークを展開している。そうした活動のなかにヒントを得たのが、今回の「立体物による展示」だったという。

さらに今回、門野のパートナーとして、東京藝術大学建築科の2年生、岩月あおいが制作に携わっている。

岩月は、同じ東京藝大山岳部の仲間に誘われ、2024年12月に開催されたトークイベント「Z世代の登山観Ⅰ」を観に訪れた。それをきっかけに、たびたび「The Tribe」に足を運ぶようになり、翌2025年春に行われた「Z世代の登山観Ⅲ」では、自ら登壇者として参加している。そうした縁もあり、今回の企画で制作者として白羽の矢が立ったのだ。

「門野さんからお話をいただいたときには、本当に胸が躍りました。その頃は、ボルダリングも雪山もクライミングも、それぞれ別のジャンルとして見ていました。だから『全部同じ登山だよ』と言われても、当時はまだ理解できない部分がありました。でも、日頃から大学での制作でも、普段の遊びでも、”メタ的に見る”という感覚を大切にしていたので、この企画にはとても興味を惹かれました。そして、気がついたら自然と制作に加わっていたんです」

岩月の言う「メタ的に見る」とは、物ごとを一歩引いた位置から、全体像を俯瞰するように捉えることを指す。ディテールにこだわりながらも、同時に全体の構造を意識する。その視点の大切さは、なにも建築に限った話ではないだろう。今回の展示では、そんな「メタ的発想」が至る所で発揮されていくことになる。

困難なクライミングがどう立体で再現されるのか

ここで、門野が選んだ三つのクライミング記録について、一つひとつ見ていこう。いずれも、門野自身にとって思い入れのある課題であり、そのことがまず念頭にあったという。

「冬季縦走」というテーマで選ばれたのが〈デナリ・カシンリッジ完全縦走〉である。「カシンリッジ」とは、デナリ南面のクラシックなバリエーションルートだが、実はそのボトム付近からさらに南西方向へと長大な尾根を延ばしている。この尾根を末端から忠実にたどり、上部のカシンリッジに継続してデナリ山頂へ抜けるラインこそが、いわゆる「完全縦走(The Linked Cassin)」である。

これは、二つのバリエーションルートを継続して登るというより挑戦的なクライミングであり、2008年の山田達郎・井上祐大ペアを筆頭に、過去三組の日本人クライマーが挑んでいる。

「『カシンリッジ完全縦走』は、僕自身も検討したことがありました。いつかはトライしてみたいと。でも、その後いろいろと環境が変わって、現実的には難しくなってしまった。そんななかで、2024年に完全縦走を果たした永山虎之介・竹中源弥・竹田昴の記録に触れて、本当に心が動かされたんです」

アラスカに聳える北米大陸最高峰・デナリは、かつて植村直己の挑戦や遭難によって、日本人にも広く知られる高峰となった。最近では、再選を果たしたトランプ大統領によって再び「マッキンリー」という名称に戻されたことでも話題を呼んだ。

しかし、それが実際にはどのような山容をなし、ノーマルルートがどこをどう登るのかまで、具体的にイメージできる人は多くない。さらには、長年登山やクライミングに親しんでいる人でも、「カシンリッジ」がデナリのどの位置にあるのかを正確に把握しているとは限らない。

そのため、門野が心を動かされたという「カシンリッジ完全縦走」の本当の価値を伝えるのは、決して容易ではない。その意味でも、3Dの地形モデルによって立体的に可視化することは、この登攀の壮大なスケールの冒険を一目で伝える、非常に有効な方法となるはずだ。

写真:永山虎之介

「沢登り」のテーマで選ばれた〈立山・称名廊下〉は、2016年に大西良治が単独で13日間かけて完全初遡行し、国内登山界に衝撃を与えたクライミングである。

「称名廊下」とは、北アルプス立山連峰に源を発し、室堂平、弥陀ヶ原を経て称名滝へと至る、全長約9kmの大峡谷のこと。深さ200m前後のV字峡谷の底を激流が轟音を立てて流れるという、国内屈指のゴルジュ帯だ。

そのあまりの地形の険しさゆえ、2013年に大西が初挑戦するまで、人が足を踏み入れた記録はなく、「日本最後の地理的空白地帯」とまで呼ばれていた。

毎年、多くの登山客や観光客で賑わう立山黒部アルペンルートのすぐ脇に、これほどのスケールで未知の領域が残されていたことは奇跡的と言っていい。いまもなお、大西のほかにこのルートを踏破した者は、2024年秋に下ノ廊下を遡行した大木輝一・鈴木助のペアのみ。称名廊下は、依然として人の侵入を拒み続けている。

「初遡行した大西さんとは、一緒にビッグウォールに行ったことがあるんです。テル(大木)は会社の同僚ですし、ある時期、集中して沢登りを共にしてきた仲。そんな近しい仲間たちが遡行した大記録ですし、誰がどう見ても後世に残る偉大な記録であることは間違いないと思います」

一般的な沢登りのイメージとは大きく異なる、全長9kmを超える国内最大規模の峡谷が、立体地形モデルでどのように表現されるのか。なかでも、地表から100〜200mもの落差で切れ込む壮絶なゴルジュ帯の再現は、この展示の大きな見どころといえる。

写真:大西良治

「ボルダリング」を表現する題材は〈中立主義〉。倉上慶大による完登写真がSCARPAの広告やポスターにもなったので、目にしたことがある人も多いだろう。

高さ10mを優に超えたハイボルダーは圧倒的で、ロープを使うショートルートとなってもおかしくないスケールだ。それをボルダリングとして体一つで挑むとしたら、高いクライミング技術と、墜落に対する恐怖を克服する強靱な精神力が求められる。

本気でボルダリングに打ち込むクライマーであれば、誰もがこの課題の名を一度は耳にし、強烈な印象を受けているはずだ。まさに、ボルダリングという行為の本質を象徴するような課題である。

「当時、会社の先輩だった倉上さんから、『最近、こういうトライをしているんだ』と、写真を見せてもらったことがあります。実はロストアローに入社したのも、倉上さんから誘われたことがきっかけだったんです。あの岩場は僕も好きでよく通っていましたし、そうしたいくつもの意味で、思い入れの深いボルダーです」

「中立主義」の岩は、ボルダーとしては群を抜くスケールだが、それでも高さ10m前後となれば、地形図においては等高線に現れないほどの極小サイズである。そのため、モデル化にあたっては、まったく新しい手法が採用されている。その表現がどのような効果を生むのか、期待が高まる。

写真:萩原 悟

制作の過程を追いかける

取材に訪れたのが、10月中旬のこと。制作開始からすでに5カ月が経った頃だったが、その間、数え切れないほどの試行錯誤を繰り返しながら、作品の縮尺、手法、素材などを定めてきたという。それと並行して、可能なものについては現地調査にも出かけ、関係者へのインタビューを続けてきた。

「The Tribe」のアウトプットは展示でもイベントでも、ひとつの企画に、驚くほど長時間にわたる周到な準備をかけるのは当たり前のこと。そのあたりを含め、どのような制作を続けているのかを、次回以降で詳しくお伝えしようと思う。

なお、「The Tribe」では、この展示に限り、公開制作ということで、実際の制作をその都度見学することができる。詳しくは、The Tribeのホームページを参照してほしい。

次回Vol.2に続く。

写真:五十島典空