Vol.2 縫製修理—前編

連載: ロストアローのリペア哲学 | Vol.2 縫製修理—前編
ロストアローのリペア哲学
Vol.2 縫製修理—前編
Published on Feb 24, 2026
Written by 寺倉 力
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連載: ロストアローのリペア哲学

ロストアローが輸入販売する登山・クライミング・スキー用製品のほとんどは修理可能で、その大半は自社内の修理部門が担っていることをご存じでしょうか。それは破れた生地の縫製やファスナー交換に留まらず、登山靴のリソールやカムデバイスのトリガーワイヤー交換に至るまで、ほとんどすべてに及びます。なぜロストアローは製品修理に力を入れているのか——。その理由を数回にわたって、寺倉力さんがレポートします。第三回の今回はテントやバックパックなどの縫製修理の現場から。

Vol.1 スカルパ登山靴の修理—前編
Vol.1 スカルパ登山靴の修理—後編


なぜかミシンの音が聞こえない縫製修理の現場

「縫製修理」担当とは、生地の破れや穴あき、ファスナーやバックルの交換など、針と糸を使って修理を行う部署である。

持ち込まれる製品は多岐にわたる。多数を占めるのはオスプレーやブラックダイヤモンドのバックパックだが、ほかにもアパレル、テント、シュラフ、クラッシュパッドなど、ロストアローが扱う11ブランドのなかで、布地パーツのある製品すべてが対象になる。

オスプレーやブラックダイヤモンドのバックパック

作業場には、各種のミシンが据え付けられたデスクが壁に沿って並び、中央には大きな布地を広げられる作業台が置かれている。

縫製修理と聞いて、カタカタカタというミシンの断続的な音が鳴り響いているのかと思いきや、ロストアロー修理部・縫製修理の仕事場は、拍子抜けするほど静かだった。担当スタッフたちは、それぞれが、まるで息を止めるようにミシンに向き合っている。

ミシンに向き合うスタッフ

「それは、ゆっくりと、ていねいに縫うよう心がけているからです」

そう語るのは、縫製修理のベテラン、佐々木京子さん。服飾デザインのプロを養成する文化服装学院の出身で、服飾業界からロストアローに転職して以来、縫製修理ひと筋で27年になる。

「縫製工場のようにミシンを踏み込んで、ある程度のスピードで縫うのは、それほど難しくはないんです。でも、修理でそれをやると、必ず失敗します。止めたい場所で止められない。制御ができないからです」

縫い直すには、まず縫い目をほどく必要がある

佐々木さんによれば、音が静かなのは、もう一つの理由があるという。それは「縫製修理は、作業の大半が”ほどき”だから」だという。

「ほどき」、つまり縫い目をほどくこと。ハサミを入れながら縫製部をほどき、修理品を解体するという意味。

「縫うことは純粋に楽しいんです。でも、”ほどき”はたいへん。生地を傷つけないよう気を遣いますし、構造が複雑になれば時間もかかります。だから、修理個所までたどり着くと、あらかた修理は終わったかな、という気分になることもあります」

佐々木さん

ここでは、トレッキング用バックパックのボトムファスナー修理の工程を追いながら、縫製修理、とりわけ、”ほどき”の実際をみていこう。

ファスナーの故障は、壊れたファスナーの縫い目をほどいて本体から取り外し、新しいものに付け替えるという作業になる。文字で書けば簡単に思えるが、これがなかなかどうして……。

たいてい、バックパックの本体は”中表”に縫われている。簡単に言うなら、2枚の布地の三辺を縫い合わせて袋状にし、表裏をひっくり返した状態だ。そのため、縫い目をほどくには、本体を裏返して、ステッチと縫い代を表に出す必要がある。

本体を裏返すには、まず雨蓋やウエストベルトなどの部品を外し、次に内蔵されたパッドやインターナルフレームを抜き取る。そうやって袋の状態にしたうえで、表裏をひっくり返す。

肝心のファスナーの縫製部に到達するには、さらに本体内側に張られたライニングの縫製をほどいて開くという一手間が加わる。そうした多数の工程を経て、ようやく修理箇所が露わになる。まるで外科医が手術で手間と時間をかけて、最深部の患部にたどり着くかのようだ。

ライニングの縫製をほどく様子

ここで問題なのは、製品を開発する段階で修理が想定されていないことだ。それが、解体修理をことさら厄介なものにしている。

また、最近のバックパックは構造が複雑で部品数も多く、背面のテンションを保つために、ギリギリの状態でインターナルフレームが差し込まれていることが多い。そのため、フレームを抜くのがまずひと苦労で、がんばって抜いたはいいものの、今度は果たして元に戻せるのか、という問題にもなる。

「修理品のもともとの構造や、解体した順番を覚えていないと、組み立て直すことはできません。基本的にはミシンで直す仕事という点は変わりませんが、最近はデザインの種類も非常に増えていて、それに伴って構造が複雑になり、難しくなってきていますね」

膨大な純正パーツのストックから探し出す

“ほどき”が終わると、いよいよファスナーの交換作業に入る。まずは、社内にストックされたパーツの在庫から、その修理対象モデルに合ったファスナーと縫い糸を選び出す。

パーツの在庫といっても、バックルひとつをとっても形やカラー、大きさを含めて10種類前後。ほかにも、ファスナー、テープ、コードロック、バンジーコード、ドローコード、コードエンドなどさまざまなパーツがあり、ストックの総数はおよそ1000種類にのぼるという。

パーツの在庫

こうした交換用パーツは、汎用品もあるが、基本的にはメーカー本社から取り寄せた純正パーツを使っている。それがブランドごとに用意されており、しかも、モデルチェンジのたびにパーツが変更されるため、管理もひと苦労だ。

そのため、パーツはすべてコンピュータのデータベースで管理されている。修理の現場で効率よく必要なパーツを探し出せるだけでなく、どの部署からでも交換パーツの有無を確認できるため、取引先やユーザーへの迅速な対応にも役立っている。

また、どのモデルにどのパーツが使われているかがひと目でわかる、オリジナルの「パーツ表」も作成されている。実際のパーツを複写機で直接原寸大にカラーコピーし、それを切り貼りして作ったもので、長年の試行錯誤の末に生まれた、佐々木さん手作りの力作だ。

パーツ表

「今は、たいていモデルごとにパーツの形や色が違います。それをどう管理すればいいかと考えた結果、バックパックの写真にパーツをカラーコピーして貼っておけば、わかりやすいかなと。そうしたパーツ表は、今はオスプレーが8冊、ブラックダイヤモンドが3冊あります」

縫い糸も、モデルに合わせて慎重に選び出す。たとえば、同じ「赤」でもニュアンスの異なる十数種類のストックがあり、そのなかから、もとの縫い糸に近いものを探し出すのだ。

十数種類のストックがある縫い糸

こうした手間と工夫が必要になる背景には、ロストアローがメーカーではなく、輸入代理店であるという事情もある。

仮に、各モデルの設計図と仕様書があれば、そこに記載された品番を選ぶだけで済み、作業はずっと簡単になるだろう。構造が複雑でも、図面を見れば一目で理解できるため、作業効率も大きく改善されるはずだ。だが、そうした情報がメーカー本社から提供されることはない。そのため、修理の現場なりの苦労が生まれているのだ。

修理の先にはお客様の笑顔がある

必要な”ほどき”を終え、パーツや糸が揃ったら、あとは縫い合わせるだけだ。本体に沿ってまち針で仮止めし、ゆっくりと、ていねいにミシンをかけていく。

「平坦な部分を縫うのは簡単なんですけど、バックパックは立体的でカーブや角も多いので、そこをうまく縫い上げていくのは難しいです。それに、生地に厚みがあるぶん段差も多くなります。そこで縫い目がずれないように、ミシンをどう制御していくかですね」

まち針で仮止めしている様子

佐々木さんがていねいな縫製にこだわるのは、それが仕上がりの質に直結するからだ。

「どんな修理をしたらお客さまに満足してもらえるかなって、まず最初に考えます。受け取ったときに、『修理に出してよかった』と思っていただきたいですからね。そのために、少しでもていねいに仕上げることを、いつも心に留めています」

数針縫うごとにミシンを止め、方向を調整する——その動作を何度も繰り返しながら、佐々木さんはゆっくりとミシンを進めている。ほどく前の縫製ラインから外れないよう忠実に針を進め、最後の留めでは縫いっぱなしにせず、必ず返し縫いを行っている。

「返し縫いは、糸が解けないようにするためです。最後まで縫ったら、5針くらい返して、またもう一度縫います。縫い目を外さないように、行きつ戻りつを3回くらい繰り返します。本当に小さなことですが、そこをおろそかにすると、やっぱり、よくないかなと思います」

佐々木さんがアパレル業界からロストアローに転職したときに、先輩社員からかけられた言葉が今も頭に残っているという。「登山の道具は、命に関わる道具なのだ」と。

「それはもう衝撃的な言葉でした。命に関わる道具を修理するのだから、きっちり作らないといけないと思いました。どうしても頭の隅にその言葉が残っていて、気になると、ほどいてやり直すこともあります。やっぱり、妥協してはいけないなって思うんですよね」

佐々木さんは、数年前にロストアローの縫製修理マニュアルを完成させた。2024年4月をもって、27年間勤め上げたロストアローを退職したが、長い時間をかけて培ってきた登山用具の縫製修理にかけるスキルと志は、今もなお、後に続くスタッフへと受け継がれている。

「修理品も、修理の内容も一点一点すべて違いますから、それが思い通りに仕上がったときは、やっぱりうれしいですね。それこそ、一点もののオートクチュールを仕上げているような楽しみがあります。そして、その先にはお客さまの喜ぶ笑顔がある。それが、修理を担当する者としてのやりがいにつながっているのです」

後編に続く

写真=柏倉陽介
映像制作=山村優介