東京・神田小川町にある「The Tribe」は、クライマーの交流や刺激を目的にしたコミュニティ空間であり、ギャラリー。「The Tribeの舞台裏」では、公開予定の展示を制作段階から追いかけることで、そのテーマや内容を先行してお伝えしていきます。
現在公開製作中なのが「山岳、模型、パースペクティブ」展。対象になる3つの登攀記録の紹介をしたVol.1に続き、Vol.2では「模型」がテーマ。模型化への技術的な試行錯誤のいっぽうで、単なる「精巧なミニチュア」の文脈では提示したくないという制作者のねらいを探っていきます。

クライミングルートの立体地形模型を制作する
2026年2月上旬、東京・神田の「The Tribe」は、「山岳、模型、パースペクティブ」展の開催に向け、3つの立体地形模型制作の真っ直中にあった。
アラスカ・デナリの長大なバリエーション*〈カシンリッジ完全縦走〉、国内最大のゴルジュ*帯〈称名廊下〉初遡行。そして、倉上慶大の完登で知られるハイボルダー*〈中立主義〉。
上記3つのクライミングの詳細については、「The Tribeの舞台裏 / 山岳、模型、パースペクティブ展 Vol.1」をご参照ください。
[編集部註]
*バリエーション:一般に登られる登山ルート(一般ルート)ではないルートのこと。高い総合力が要求されることが多い。
*ゴルジュ:両側が切り立った岸壁で形成される狭い渓谷。
*ハイボルダー:非常に高さのあるボルダリング対象の岩。高さの定義はないが6mを超えるあたりから立派なハイボルダーとされる。
冬季縦走・沢登り・ボルダリング——性格の異なる三つの登攀を、立体地形模型として可視化する試み。つまり、それぞれのクライミングが展開されたフィールドそのものを、立体で再構築しようという企画である。
限られた者だけが踏み込んだ長大な雪稜。鋭く切れ落ちる凶悪なゴルジュ。高さ10mを優に超えるハイボルダー。クライマーたちは、どんなラインを思い描き、どのようにこの地形を攻略したのか。
立体地形模型を前にしながら、彼らの挑戦を思い浮かべるのもよし、あるいは、まったく違う発想から、新しいラインが想像できるかもしれない。

等高線に表れないボルダーの高低差
立体地形模型は、地形図の等高線1本ずつを厚紙やスチレンボードなどに写し取り、切り抜き、下から順に積み重ねていくのが一般的だ。これを「等高線積層法」という。
たとえば1/25,000地形図の場合、等高線は10m間隔で引かれている。したがって標高差500mの山を模型化するなら、等高線ごとに切り抜いた50枚を重ねることになる。
ほかにも、ルーターで削り出す方法や、樹脂・石膏による成形、3Dプリンターによる出力などの手法はある。しかし、いずれの場合も必要となるのは等高線、あるいはそれと同等の標高データである。
今回の展示において、〈デナリ〉と〈称名廊下〉は、まずベースとなる地形図をいかに入手するかが最初の鍵になる。一方で、ボルダーの〈中立主義〉には高低差を表す地形図そのものが存在しない。
等高線とは本来、地形の連なりを表すものであり、渓谷に点在する大岩のような個々の突起物は原則として描かれないからだ。仮に描かれていたとしても、10m強という高さでは、等高線の間隔に吸収されてしまうだろう。
では、どうすればよいのか。それが最初の課題だった。

「The Tribe」スタッフで今回の企画を担当する門野巧昂は、当時をこう振り返る。
「岩のデータを得ることはできないとなると、人の記憶を頼りにするしかない。ならば、〈中立主義〉の再登を果たしたクライマーの石松大晟(たいせい)さんを手がかりに、岩のディテールを立体として表現できないかと考えたのです」
記憶を頼りにするとはいっても、それを具体的な立体へと落とし込むのは容易ではない。石膏や粘土による彫刻という手法も頭に浮かぶが、現実的とは思えなかった。
おそらく石松さんは、何度も挑戦を重ねた課題のホールド*やフットホールドの位置、形状は明確に記憶しているはず(クライマーとはそういうものだ)。それでも、ボルダーそのものの全体像や量感を、どこまで覚えているだろうか。そもそも、人の記憶はあいまいなものだ。
[編集部註]
*(フット)ホールド:登るための手(足)がかりとなる岩の部分のこと。

写真提供:石松大晟
そんな逡巡を繰り返した後に、「それなら、フォトグラメトリーが使えるのでは?」と提案したのは、門野とともに制作に携わる岩月あおいだった。東京藝術大学建築科で学ぶ岩月は、建築設計の現場でも浸透し始めていた3D生成ツールに着目し、そのデジタルテクノロジーを今回の制作に応用できないかと考えたのだ。
フォトグラメトリーとは、多数の写真をコンピュータで解析し、対象物をリアルな3Dモデルとして立ち上げる技術である。日本語では「写真測量」と呼ばれ、建築や地質学をはじめ、さまざまな分野で活用されている。
縦・横・斜めと多角的に撮影した多数のデジタル画像をコンピュータに取り込み、画像解析によって、立体的なコンピュータグラフィックを生成する。誤解を恐れずに言えば、写真の断片からなるジグソーパズルを立体的に組み上げるようなものだ。
対象は、家具や植木のような小さなものから、家やビルといった建築物まで幅広い。さらに、ドローンや航空写真を用いれば、庭園や地形そのものを3Dモデル化することも可能である。写真を使用するため、実物に近いテクスチャーを表現できる点も大きな特徴だ。
デジタル画像はスマートフォンで撮った写真でもよく、ソフトウェアも市販され、デザイン用アプリケーション程度の価格帯から入手できる。

デジタルテクノロジーを活用した新たなアプローチ
フォトグラメトリーを実際にテストすべく、門野と岩月は〈中立主義〉のボルダーがある渓谷へと足を運んだ。巨大な岩の周囲をぐるりと回りながら、あらゆる角度からシャッターを切っていく。写真の重複部分は自動的に処理されるため、それを気にすることなく、できるだけ多くのアングルを押さえることに集中した。
The Tribeに戻ると、さっそくフォトグラメトリーの作業に取りかかる。数百枚に及ぶ画像をコンピュータに取り込み、ソフトウェア上で解析と合成を進めていった。
やがて画面に浮かび上がった〈中立主義〉の3Dモデルは、実際の写真をもとに生成されたこともあり、岩肌のディテールや質感まで克明に再現されていた。二人としては、予想を上回る出来栄えだった。

「うん、これなら使えるかもしれない」
二人はそのデータを3Dプリンターに転送し、試しに高さ10cmにも満たないミニチュアサイズの模型を出力した。
そこから彼らは次の段階へと進んだ。この樹脂製の3D模型から、どんなメッセージを発することができるのか。それを新たな課題として検討を重ねたのである。
「フォトグラメトリーを使った成果は確認できました。ただ、このままでは〈中立主義〉の単なるミニチュアです。それはそれで楽しいと思うんです。でも、展示を企画した僕らとしては、そこに留まるわけにはいかなかったんです」と門野は言う。
「模型としてのクオリティ、つまり、〈中立主義〉の再現率が高いか低いか。そういう方向に焦点が集まっていきそうで、そこにも抵抗がありました」と岩月。

ミニチュア版を前にしてまず感じたのは、これまで写真や動画で目にしてきた〈中立主義〉の印象よりも、壁がずっと前傾しているということだった。印象的な岩の形状やホールドを追えば、取り付きから上部までのおおよその登攀ラインを読み取ることもできるだろう。
3次元という立体に置き換えることで、写真や動画という2次元表現は、理解の深度を何倍にも押し広げる。それは間違いなく刺激的で、楽しい体験だ。
けれども、それでは満足できなかったという二人。何日にもわたるディスカッションの末、たどり着いたのは「クライマーの視点」というキーワードだった。
岩月は言う。
「クライマーの方たちと話していると、自分はまだクライミングのリテラシーが低いんだなと感じることがよくあります。たぶん、ひとつのボルダー課題を前にしたときに、クライマーが見ている景色は、私が見ている岩の凹凸とはまったく違うものなんだろうな、と。その“見えているもの”の違いのようなものを、立体模型で表現できないか。そう思ったんです」

クライマーの視点を立体地形模型に取り込みたい
クライマーの石松大晟さんを伴って再び現地に足を運んだ二人は、撮影にあたってひとつのリクエストを伝えた。〈中立主義〉にトライするという前提で、この岩のどこを確認するのか。実際に目で追った部分を、もれなく写真に収めてほしい、と。つまり、オブザベーション*時の視点である。
[編集部註]
*オブザベーション:クライマーが初めてのルートを試みる前に行う岩の観察のこと。手足の置きどころを見極めてスムーズな動きにつなげる。落ちずに登り切るための重要な作業。
石松さんは、コンペシーンで活躍してきたトップクライマーで、ボルダリングワールドカップで3位表彰台に立った実績を持つ。現在はクライミングジムに勤務しながら活動を続け、2024年10月には〈中立主義〉を再登。これは倉上慶大に次ぐ完登記録だった。
ズームレンズ付きの一眼レフカメラを携えた石松さんは、まず対岸から大岩全体を観察する。川を渡り、基部へと降り立ち、岩面を見上げた。そして真下はもちろん、左右へと回り込みながら、さまざまな角度からシャッターを切っていった。
アプローチからオブザベーションに至るまで、自らの目で岩を読み取るその一連の動きすべてが、撮影の対象となった。最終的に集まった画像は、800枚を超えた。

頭部にウェアラブルカメラを装着し、実際に登りながら撮影する方法も考えられた。だが、課題そのものがあまりにリスキーであること、そしてオブザベーション時の視点だけでも十分な効果が得られると判断したことから、その案は採用されなかった。
結果、二人の狙いは的中した。
フォトグラメトリーは、撮影アングルや画像点数が多いほど、テクスチャーの精度が高まるという性質を持つ。実際、石松さんが登ることを想定して重点的に観察したライン周辺は、表面の質感が明快で、細部まで克明に再現されていた。
一方で、下からは視認しにくい上部や、登攀ラインから外れた周囲は、解像度が低く、岩肌はのっぺりとしている。
「石松さんがオブザベーションした量が、そのまま写真の枚数に反映される。だから3Dモデルの岩肌には濃淡が生まれます。むしろ見てほしいのは、そうしたモザイクがかかったような淡い部分なんです。クライマーはどうしてもホールドやラインに目が行きがちだけど、実は見逃している部分もある。そこにも何らかの可能性が潜んでいるんじゃないかと。たとえば、そんな考えに進んでくれたらうれしいですね」と門野は語る。

彼らの狙いは、岩を精密に再現することではなかった。見えている岩ではなく、見えなかった岩を浮かび上がらせること。そこから何かを感じ取り、新たな発想へとつながってほしい。そんなメッセージが込められている。
こうして完成したフォトグラメトリーのデータは3Dプリンターへと送られ、161個のブロックとして出力された。細かく分割したのは、プリンターの造形サイズに制限があるためである。それらを接着し、壁面を立ち上げる。全体が前傾しているため、木枠を組んで裏側から固定し、さらに表面の隙間をパテで埋めていった。
残る作業は、岩面全体を粘度の高い塗料で塗装し、3Dプリンターの積層時に生じた0.2mmピッチの溝を埋めるのみ。〈中立主義〉の立体地形模型の完成はもう間近。大きさは実物の1/5ほどのスケールになる予定だ。


